ああ虫けらや
先月末に
田植えをした
さくらぎ田んぼ周辺の草刈を
一昨日してきました
雑草
と
人間の都合だけで
命名されている
草たち
冬をじっと耐え
春に芽生えて
夏に向かって
その生命を
精力的に謳歌している
その草の命を
エンジン音をたてながら
一気に刈る自分
草たちは
このエンジン音に
きっとおびえているんだろうなぁ
花盛りの草を刈るときなど
尚更
感情移入してしまう
野菜や果物に
クラシック音楽を聴かせる
栽培方法があるくらい
植物にも何らかの
感情に近いものが
あることは
科学的にも証明されているのですからね
そして
こんな時
いつも思い出すのが
人間の性(さが)と不条理を詠う
大関松三郎の
この詩
小学校の時か
中学の時か忘れましたが
国語の時間に学んだこの詩
50年以上経っても
この詩が脳裏に残っています
一くわ
どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれていて
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまち大さわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえらは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える
だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
おまえらを けちらかしていかんばならんでや
なあ
虫けらや 虫けらや
この詩
大関松三郎が
子供の時に書いたもの
とは
驚きですね
自分も
ささやかながら
土と関わることで
普段忘れがちな
生きると言うことは
無数の命の
お陰様で成り立っている
ということを
頭ではなく
経験を通して
実感と共に
再認識させられます
この詩からは
そんなことを
強く
考えさせられますね
でも実は
感傷的になっているのは
人間の私だけであって
大きな視点で
植物総体を眺めると
なんら傷ついてはいなくて
私が背丈の伸びた草を刈ったことで
じっと陽の光を待っていた
別の種類のタネが
喜んで芽生えてくるのですから
ある面
自然は
したたかなものですよね(^^♪
お陰様と言えば
無数のご縁もお陰様
自我やエゴが
いつもささやく
どちらが美味しい話か
どちらがお金になることか
どちらが安全か
楽チンか
という選択よりも
人や出来事との
出愛のご縁を
大切にして
自我やエゴのささやきを制して
直感で
出愛のご縁の方を
選択する人生を
優先するようになってから
とっても楽しい
日々や
人々や
出来事に囲まれているような
気がします
ありがたいことです
感謝はするもの
ではなく
溢れ出るもの
その意味がしみじみと分かる
年齢になりました
そして
植物のように
自然の流れに身を任す
達観した
生き方を目指したいものですね
本日の一句です
草刈って お陰さま知る 初夏の空
差し苗用に残した稲の苗の塊
この密集した状態で置いておくと
病気の原因になります
人間環境と同じで
人口密度が高いと
いろいろと問題が発生するのは自明の理
田んぼから取り除こうとするも
ものすごく団結して
深く強く根を張っていました
植物の根の張る力
生きる力に
あらためて脱帽です
田植えをした
さくらぎ田んぼ周辺の草刈を
一昨日してきました
雑草
と
人間の都合だけで
命名されている
草たち
冬をじっと耐え
春に芽生えて
夏に向かって
その生命を
精力的に謳歌している
その草の命を
エンジン音をたてながら
一気に刈る自分
草たちは
このエンジン音に
きっとおびえているんだろうなぁ
花盛りの草を刈るときなど
尚更
感情移入してしまう
野菜や果物に
クラシック音楽を聴かせる
栽培方法があるくらい
植物にも何らかの
感情に近いものが
あることは
科学的にも証明されているのですからね
そして
こんな時
いつも思い出すのが
人間の性(さが)と不条理を詠う
大関松三郎の
この詩
小学校の時か
中学の時か忘れましたが
国語の時間に学んだこの詩
50年以上経っても
この詩が脳裏に残っています
一くわ
どっしんとおろして ひっくりかえした土の中から
もぞもぞと いろんな虫けらがでてくる
土の中にかくれていて
あんきにくらしていた虫けらが
おれの一くわで たちまち大さわぎだ
おまえは くそ虫といわれ
おまえは みみずといわれ
おまえは へっこき虫といわれ
おまえは げじげじといわれ
おまえは ありごといわれ
おまえらは 虫けらといわれ
おれは 人間といわれ
おれは 百姓といわれ
おれは くわをもって 土をたがやさねばならん
おれは おまえたちのうちをこわさねばならん
おれは おまえたちの 大将でもないし 敵でもないが
おれは おまえたちを けちらかしたり ころしたりする
おれは こまった
おれは くわをたてて考える
だが虫けらよ
やっぱりおれは土をたがやさんばならんでや
おまえらを けちらかしていかんばならんでや
なあ
虫けらや 虫けらや
この詩
大関松三郎が
子供の時に書いたもの
とは
驚きですね
自分も
ささやかながら
土と関わることで
普段忘れがちな
生きると言うことは
無数の命の
お陰様で成り立っている
ということを
頭ではなく
経験を通して
実感と共に
再認識させられます
この詩からは
そんなことを
強く
考えさせられますね
でも実は
感傷的になっているのは
人間の私だけであって
大きな視点で
植物総体を眺めると
なんら傷ついてはいなくて
私が背丈の伸びた草を刈ったことで
じっと陽の光を待っていた
別の種類のタネが
喜んで芽生えてくるのですから
ある面
自然は
したたかなものですよね(^^♪
お陰様と言えば
無数のご縁もお陰様
自我やエゴが
いつもささやく
どちらが美味しい話か
どちらがお金になることか
どちらが安全か
楽チンか
という選択よりも
人や出来事との
出愛のご縁を
大切にして
自我やエゴのささやきを制して
直感で
出愛のご縁の方を
選択する人生を
優先するようになってから
とっても楽しい
日々や
人々や
出来事に囲まれているような
気がします
ありがたいことです
感謝はするもの
ではなく
溢れ出るもの
その意味がしみじみと分かる
年齢になりました
そして
植物のように
自然の流れに身を任す
達観した
生き方を目指したいものですね
本日の一句です
草刈って お陰さま知る 初夏の空
差し苗用に残した稲の苗の塊
この密集した状態で置いておくと
病気の原因になります
人間環境と同じで
人口密度が高いと
いろいろと問題が発生するのは自明の理
田んぼから取り除こうとするも
ものすごく団結して
深く強く根を張っていました
植物の根の張る力
生きる力に
あらためて脱帽です


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